J-WAVEのHEART TO HEARTプロジェクトの一貫で
まるや店長、震災からちょうど3ヶ月が経った6月11日に0泊3日の
ボランティア活動に参加してまいりました。
ボランティア活動を始める前に、土曜日の早朝、宮城県仙台市荒浜地区を見学しました。
沿岸から数キロ離れた位置に有料道路が走っており、その有料道路によって津波はせき止められた
ということで、この有料道路より内陸はほとんど外見では被災地とは思えない風景なのですが、
これが有料道路を海側にくぐると景色が一変するのです。
写っているのは荒浜小学校です。見た目はさほど被害はなさそうに見えますが、震災時には
津波が3階まで襲ってきたそうです。
小学校の隣にある体育館の中はこのときまだ瓦礫で覆われていました。
目の前は、建っていたはずの家の土台のみが残っています。
津波の破壊力の凄まじさをこれでもかというくらい感じさせられました。
しかし、この現状であっても、こちらの地区は宮城県の中でも
もうだいぶ瓦礫処理が進んでいるのだというお話でした。
約50名のリスナーボランティアが5班に分けられて、各班異なるエリア・内容で
ボランティア活動を行いました。
まるや店長の班は仙台市の南に位置する岩沼市の仮設住宅すべての世帯に
お花の植えられたプランターを届けるプロジェクトのお手伝いでした。
一輪車にプランターを載せ、仮設住宅まで運ぶ作業。
最初、仮設住宅に住んでいるおばあちゃんたちに「7の4に運んでちょうだい」などと
聴き慣れない数字を立て続けに言われて戸惑っていると、
ほどなく住んでいらっしゃるおうちの番号だということが分かりました。
ボランティア活動の様子は
こちらのサイトをご覧下さい。
まるや店長も写っています。
みなさん、思い思いにお好きな花をプランターに植えていました。
何度も何度も往復してプランターを運ぶうち、仮設住宅の玄関先に色とりどりの花が咲いていきました。
ご自身が住んでいるお部屋まで案内してくれたおばあちゃん。
津波の時の話などとても聞くことはできないけれど、なんとかお話したいと思って聞いたこと。
「避難所から仮設住宅に移られて環境はよくなりましたか?」
おばあちゃんから出た言葉は「いえ、辛いです」でした。
この言葉は1ヶ月たった今でも忘れられません。
きっとおばあちゃんは、お一人で仮設住宅で暮らしていらっしゃるのだと思います。
日中は、お知り合いやご近所の方とおしゃべりして気を紛らわせることができるそうですが、
夕方から夜にかけては、仕切られたおうちにいると落ち込んだり気持ちが沈んでしまうそうです。
プランターを運び終えると、「ありがとうございました」と丁寧に僕はそのおばあちゃんにおじぎをされました。
そして、僕は再びプランターを運ぶ作業を続けました。
何度かいったりきたりを繰り返していたら、さっきのそのおばあちゃんに呼び止められました。
なんだろう?と思っていたら、口に人差し指を当てて(内緒だからねっ)というジェスチャーを
して、冷蔵庫から栄養ドリンクを1本持ってきてくれたのです。支援のつもりで来ているのに
逆にこちらが助けられ励まされてしまっていることに、気恥ずかしく申し訳なく、遠慮していると
早く飲みなさいとせかされ、ありがたくその場でいただきました。
被災地でボランティア活動をした人たちが、
「逆に励まされた」という話をよく耳にしていましたが、僕もその一人に加わることとなりました。
0泊3日で何ができるんだ!知ったつもりになるな!と言われても仕方ありません。
それでも、本当に短い時間ではありましたが、現地の空気に触れ、
そして被災された皆さんとお話できたことは自分の中ではとても大きいことでした。
もちろんまだまだ物資が足りないということもあるかと思いますが、
震災から時が経つにつれ、今一番に求められているものは、
やはり「心のケア」なのだということを感じたボランティア活動でした。
継続と人とのつながり。今後どういったかたちにしていけばいいのかを模索しています。
ボランティア活動中、2時46分、震災から3ヶ月を告げるサイレンが鳴り響き
作業を止めてその場で黙祷。サイレンが鳴り止むちょうどその時、一機の飛行機が
すぐそばの仙台空港から離陸していきました。この時僕は着実に復興しているという
印象的なシーンと受け止めました。
しかし、震災から4ヶ月が経つ今なお、瓦礫の処理がまだ35%ほどしか進んでいない
ことをニュースが伝えている現状。
未曾有の大震災であることは十分に理解しているつもりですが、、、
歯がゆさが募ります。
一日も早い復興を!
そのためにも僕たちは、僕たちのできる限りの取り組みを
これからも続けていかなければなりません。
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